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VRC学園12期に通った感想

縁を広げるのは自分の意志で

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『私立VRC学園』12期生としての2週間を終えた。

参加してよかったというのが、私の素直な思いである。ちょっとした作品を読んで良かったという程度のものではなく、胸を張ってそう思える。もし学園への参加を検討していて、このブログを読んでいるのならば、私はあまり迷うことなくお勧めだと答えるだろう。

VRChat内でたくさんのプレイヤーが関わり合い催されているイベントが『私立VRC学園』である。1期あたり100名ほどの生徒を募集し、ひとクラス15~18名程度に区切り、2週間のあいだ学園生活を模したイベントが連日続けられるといったものだ。

私は12期生として参加した。発足当初のことはわからないが、現在は毎期100名の生徒を募集するという構成で開催されている。期と期にはしばらくの期間が空くこととなるが、安定した開催がなされているようだ。

期に対して生徒希望者はかなりの応募があるらしく、倍率は低くない。その影響があったのか11期と12期は連続開催となり、その間のインターバルはかなり短かったようだ。

これから参加を検討する人へ向けて

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この記事では2週間を通して参加した私なりの思いとして、これから学園への参加を検討する人に向けた参考となりそうなことを綴っていく。同時にその感想が織り交ざることとなるが、それはどうかご容赦願いたい。

学園で日々開催される「授業」の様子については、このブログエントリーから2週間分(10日分)程度さかのぼっていただければ追いかけられる。学園全体のことよりも前に、授業そのものの感覚を掴みたいという場合にはそちらをお目通しいただければと思う。

学園が実際に行うことはそれほど多くない

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『私立VRC学園』が生徒として参加する私たちに向けて実施する内容は、実のところそれほど複雑なものではない。

  • 15~18名程度のクラスを設定し・案内する
  • 1日に1時間の授業を実施する

細かいことは他にもいろいろあるが、主要なイベントの内容といえばこれだけである。夜の22時から1時間の間、設定されたカリキュラムに沿ってVRChat内で授業が行われるので、生徒である私たちはそこへ参加する。

授業の後にはホームルームとして、クラスに複数名の担当として着いていただいている担任・副担任の先生から連絡事項を受ける。

学園としての公式的な内容はこれだけだ。

連絡体制として専用のチャットツールが整備されていたり、中間の土曜日に学園祭のようなものが催されたり、入学式や卒業式といった付帯的なイベントも行われるが、学園が行う生徒への「実施すべき予定事項」はおおむね上記の通りなのである。

学園を運営する人たちも、授業を受け持つ講師も、クラスを担当する担任・副担任も、実のところは生徒である私たちと同じく、単なるVRChatのプレイヤーに過ぎない。特に費用が発生するわけでも、報酬があるわけでもない。

だからこそすべての授業に出なければいけないという縛りはないし、何かテストで成績を取る必要があるというのでもない。本来の学校のように実力を測ったり競ったりすることもないし、学園を通い切った後に何か本格的なものを斡旋されたりするわけでもない。

あくまでも、ユーザーイベントのひとつなのである。

学園への通学を「成功」させるために

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『私立VRC学園』としては、生徒と講師と担任を募集し、日程と体制を整え、授業とイベントをすべて実施する。これらを滞りなく行えれば「成功」と言えるかもしれない。

では、私たちのような生徒にとっては「何が成功」なのだろうか?

それは生徒のそれぞれが 学園にどのようなものを望んで参加するか によって変わってくる。

私は細かいことを含めればいろいろな目論見があったが、以下のようなことを少なくとも達成したいと思って参加した。

  • 互いに気楽な形でFriend+への参加ができるような友人を得る
  • 見知らぬ人の会話の中へ入っていけるような勇気の出し方を見出す

VRChatは新たに始めた人がコミュニティを探しにくいという問題がある。その原因をここで細かく言及はしないが、よく言われることなので共通の理解はあるだろう。

私自身は2018年5月にVRCをインストールしていたが、ほとんど遊ぶことなくそのまま起動しなくなっていた。日本人プレイヤーが増えたことでTwitterなどのSNSに露出が増え、それを見ている内に欲求が募り、2021年ごろにVR機器を購入した。

それでも既に知り合っていたような極めて少ない人物との交流程度にしか使えていなかった。VRCにはかなり多くのコミュニティがあるはずだが、そのほとんどは存在に気づけすらしなかった。パブリックなワールドやイベントに何度か入ってみたが、誰かに話しかけることもできずすぐに退出していた。

そしてふとした拍子にSNSで『私立VRC学園』のことを知り、この形式ならばもしかしたら突破口になるかもしれないと考えたのだ。結果として、私のこの目的はほぼ達成されたと言って良いだろう。

そう、私にとっては「成功」だったのである。

これは私の想像に過ぎないが、似たような問題に悩んで学園を検討しているという人が参加者の半数は占めるのではないかと思ったりもする。もちろん、こうしたイベントや学校の雰囲気が好きだからという人もいるかもしれない。学園を通じていろいろなコミュニティの存在を知りたいというのもあるだろう。

いずれにしても、学園側が生徒に何かを求めることは基本的にない。同じタイミングで見知らぬ十数名が集まり、同じ時間を共有するという2週間が与えられるだけなのである。

前提条件が原則的に存在しない十数名と対等に付き合うという環境を、あなたならどう活かそうと考えるだろうか?そしてそのためにはあなたはどうしたら良いのだろうか?

……とは言ったものの、あまり重く考える必要はないと思う。

こうしたことは精神的な要素がそれなりの比重を持っていたりするが、そちらはいったん後回しにして、先に現実的な側面をお伝えしておきたい。

人とのつながりには時間が必要なこともある

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「時間」について私が述べることは、あくまでも私個人の意見であることは先に申し添えておきたい。くどいようだけれども、この点については『私立VRC学園』は推奨もしていないし、勧めていないわけでもない。私の実感として読んでいただければ幸いである。

学園の平日における公的な活動としては、22時から行われる1時間の授業のみである。だから、その時点でその日はおやすみ…… としてしまって問題はない。

だが、その後クラスメイト同士は自発的に交流を行うことが多い。おそらく、過去の期も、私の同期の他のクラスもそうであったに違いない。

担任が何らかのワールドをお勧めしてくれることもあったし、授業の中で出てきた話題でしばらく教室の花が咲いたり、みんなでゲームワールドを遊ぶこともあった。

冒頭で私の目的を達成した…… とある通り、今のところ卒業後もVRC内で夜中に同じワールドへなんとなく集合したり、夜中まで雑談したりといった関係性が続いている。

その遠からず大きな原因となったであろうことは、この「授業の後の行動」に大部分が存在していたと今なら思えるのだ。

考えてみれば当然のことだが、授業1時間に対して放課後の時間はそもそもが長い時間であったし、そのほとんどが互いについての話なのである。時には朝を迎えるような日もあった。

もちろん、一般的な社会人では厳しい場面があるに違いない。放課後は短時間で終えるクラスメイトも当然いたし、むしろそれは時間的にも健全な状態とも言える。

今後の期で参加を検討している人へ向けた話として「それでいいのだろうか」とかなり悩むところではあるし、恐らく「学園公式としては推奨ではない」と言わざるを得ないだろうと考えつつも、 授業の後の深夜に至るまで可能な限り時間を確保できるかどうかは検討した方が良い と、私は思う。

できることならば私はクラスメイト全員が少なくとも楽しめる状況を願っていた。それでも、関わる時間の差がどうしてもできてしまったことには申し訳ない思いが残っている。もちろん構造的にそうならざるを得ない側面もあるし、そこに後ろめたさがある訳でもない。もっと自分から関われたかもしれないという反省はありながらも、こればかりはその人の実際の都合やタイミングによるものが大きい。

心を開いて、少しの勇気を

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参加倍率が高いことや、クラスの割り振りがほとんどランダムなのもあって、クラスメイトは全員知らない人という状態ではじまる。(私自身はその方が良いと考えている)

もし学園での2週間を滞りなく、少なからず良い関係性を築く期間としたければ、私がお勧めしたいのは 「心を開く」 ということである。オープンマインドなどと言ったりするが、誠実さや寛容さと言ってもいいのかもしれない。

学園の講師も担任も公募された一般プレイヤーであるという点や、授業はその期限りの1回のみ(同じ教師による連続授業は存在しない)という点からも分かるように、アカデミックな学習は学園の主目的ではない。当然ながら、自分よりも遥かに専門性が低い教師がその内容の授業を行うといったことだってあるだろう。

けれども私たちは「学園を模したイベントへ生徒という役割で参加する」のである。ならばせめて授業中は、生徒としての役割に徹してもらいたいと思う。その 授業を受ける中でのクラスメイトとの交流こそが本来の目的 であるはずだからだ。

(この記事の前半で「様々な目的で参加するだろう」としたが、授業に対し完全に学習を主とした目的を 取りようがない のは、イベントの構造上自明のことだからだ。無償の善意で行っている講師に対し内容のレベルを問う暇があれば、自ら専門的な調査を行って自ら学べばよいだけのことである。)

そして、他人やクラスメイトもどんな人が来るかわからない。そこは完全に運となるが、もしかしたら中には極度にコミュニケーションが苦手だったり、複雑な事情を抱えている人もいるかもしれない。

無理をする必要はまったくないが、まずはクラスメイトを無条件に受け入れるという開かれた心で臨んでいただけたらと思う。可能ならば担任も副担任も、講師の人たちにもそうであって欲しい。

私の実感ではあるが、その方が良い結果として卒業を迎えられるのではないかと思う。

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開かれた心の準備ができたのならば、その次は 少しの勇気を出してほしい と思う。

これは私の性質なのだが、人の会話の中に飛び込んだり、自分から話題を切り出すことがとても苦手だった。しかも、誰かと会話していないという状態が実はそんなに苦ではないというのもあり、教室の端っこでひとり黙っているという状況になりやすい。

似たような性質の人である場合、もしかしたら学園がはじまってすぐそんな状態がやってくるかもしれない。だからそんな時にはどうか 少しの勇気 を出してほしい。

もう失敗したっていいし、タイミングがなんか変になってもいい。挨拶をいつもよりちょっと大き目にはっきりとしながら突っ込もう。そのまま強引に近くの位置を維持して、聞いてる感じになってもいい。必死だなと思われたくないなんて感情も出てくるが、それでいいのだ。

後から分かったことだけれども、最初の瞬間に盛り上げていて陽キャかなと思ったクラスメイトも、実は初日はそれが苦肉の策として繰り出した勢いだった…… なんてこともあった。

多かれ少なかれ、またその形も様々、全員が初対面の中で、全員が同じようにビビっていたに過ぎないのだ。そんなもんだ…… ということだけでも頭の片隅に置いていただければ、少しの勇気も出せるかと思う。

もう少し細かいアドバイスを残すとするならば、自分の声が相手にハッキリ聞こえるような音量設定は事前に済ませておいた方がいいと思う。上記のように、どんなコミュ強に見えても意外とみんな余裕がないので、小さな声だと「ひとりごとかな?」とか思って反応しきれなかったりする。

話題をぶった切ったっていいと思う。声はデカ過ぎない範囲でハッキリ聞こえるようにしておこう。話題をぶった切ってしまったと思ったら、それを素直に言えばいいのだ。ぶった切ってごめんと。なかなかそういうのがうまくいかなくて…… と。

もしさらに余裕があるのなら、最低限のボディランゲージを発揮できるアバターを用意できると良い。フルトラである必要はない。これも私の完全な独断だが、マスコット的なものを利用するのは「上級者的」になってしまうと思う。技術が必要だ。

重ねてのこととなってしまうが、常に常に 少しの勇気 を出していこう。

普通の義務教育ならば年単位という時間があるから、なんとなく受け身でも時間が解決してくれたりする。けれども、学園は2週間しかない。自分からコミュニケーションに参加しなければ、実質的にそれは「ないもの」となってしまいかねない。めちゃくちゃ喋る必要などないのだから。

対等な付き合いを得られる機会は人生にほとんどない

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このエントリを含めて、過去2週間の学園日記では意識的にクラスメイトのことをほとんど含めてこなかった。それはどちらかというと、今後参加を検討する未来の誰かへ向けたものとして書いていたからという理由が大きい。

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だが、明らかに生徒として得られた体験のうち、最も価値的な時間を共有したのは彼らクラスメイトの面々であり、それ自体が学園で最も大きな要素であったとも言える。

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まったくの初対面として同じ場所へ同じタイミングで集い、同じ授業を受けながらコミュニケーションを深めるという同じ目的を見つめて進んできた。言わば彼らは私にとって「戦友」に近いのだと思う。

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危うい場面もあったかもしれない。けれども、それが人付き合いを真剣にはじめて、人の縁をつなげていくことなのだろうとも思う。2週間がせめていい思い出になるようにと、クラスメイトの誰もが多かれ少なかれ勇気を出して、考えて、行動し続けていた。

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当然のことながら、その深度や温度差はそれぞれ存在する。卒業してからは話をする機会がない人もいるし、おそらく満足な結果ではなかったのだろうと思う人もいる。すべてが理想通りではなかったし、全員が完全に楽しめた訳ではないだろうことも理解している。

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それでも実際の年齢やリアルの状況に関係なく、対等な付き合いのできる友人ができたことは望外のことであったし、これから先にリアルのことを互いに知っていくことが仮にあるにしても、この「対等さ」が失われることはないであろうという予感さえする。

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どれだけ狙ってみても、このようなフラットさで始められる人間関係というのはそうそう得られるものではないだろう。それこそ「学友」のような状況が必要なのだろうと思う。僚友は実に得難きものに違いない。

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時には人生や仕事の先輩として相談に乗ってもらうこともあったし、プライベートなことを吐き出すような夜もあった。そこに上下はなかったと(私がそのようにできていたのかは反省の余地ありかもしれないが)思うし、またネットだからこそできる…… といったものとも少し違った深みがあったように感じている。

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だが、そうした場を与えられたからと言って、私を含めた生徒たちだけでそれらを実現できたかと言えばそうではない。各自それぞれなんとか自発性を発揮して努力していたが、初日の放課後などはどうしたらいいか分からなかった。

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私たち生徒が2週間を濃密に走り抜けていくための推進力を与えてくれたのは、確実に担任・副担任の4名の采配によるものであった。時に適切な距離を見極め、時に深夜までとことん付き合ってくれ、必要な助力を惜しみなくその身でご尽力いただいた。

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生徒同士の自主性を重んじつつ、生徒としての成功体験を可能な限り最大化することを心がけ、無償の奉仕にも関わらず責任をまっとうされたその姿に私は脱帽せざるを得ない。彼らもまた、卒業後に日々交流する友人として付き合いが続いている。

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2週間という期間は長いようで短い。新しい人間関係の中で突き進む時間としては短すぎるとも言える。それは本当に一瞬で通り過ぎてしまった。それに、どれだけ濃密だったとしても友人としての付き合いという意味では短すぎるとも言える。

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今でさえ、距離感に悩むことはある。こんなに絡んで良いものかと思うこともあれば、もっと絡みたいけどもしかしたら迷惑かもしれないと思うこともある。「勇気を出せ」というアドバイスをここに書いておきながら、まだまだうまく見極められないでいるのも事実だ。

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もう若くはない世代であることはクラスメイト達に知れているところだけども、それでも良き付き合いをしてくれる彼らに感謝の念は尽きない。この関係自体が途方もないものであるようにも思う。

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いつまでも濃い付き合いが続く訳ではないのかもしれないという覚悟はしつつ、例えそうであったとしても彼らの今後を祈り続けられるようでありたいと願う。私自身に何かがある訳でなくとも、どこか遠い未来であったとしても、「彼ら」がいたのだと胸を張れるようでありたい。

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ちょっと大げさな感想日記となってしまったけれども、丁寧に言葉にしてみれば以上のような体験が私にとっての『私立VRC学園』であった。参加前にものすごい覚悟をしていた訳ではないにせよ、勇気を出して挑んだことに対しては十分報われたものと感じている。

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最後になってしまったけれども、講師や担任も含めて毎期の参加者を募り、数多くの善意と挑戦を結集して、このような場を成立させている『私立VRC学園』の運営に携わる人たちには大きな敬意を表したいと思う。

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これほどの規模を安定的に実施するための体制を構築されていることは私にとって想像以上のことで、入学前の準備段階の時点でそれらを感じられるくらいには完成されていたと思う。直接的にかかわることはほとんどなかったものの、ウェブ上で完結する組織の構築方法を僅かながら学べたことは驚きとともに、素直な喜びとなった。

良き出会いは、開かれた精神性と、自分の勇気で決まる。そのような確認ができた、良き2週間でした。本当にありがとうございました。

This post is licensed under CC BY 4.0 by the author.

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