会社都合退職という立場
1年前、勤めている事業所が閉鎖されると発表された。
勤めている従業員は原則として閉鎖時点での解雇としつつも、製造業たる所以から顧客への供給責任を果たすために製造業務を継続せよという話だった。
閉鎖までの期間は今年3月31日までのおよそ1年間であった。
従業員の将来を明確に閉ざした上で、その瞬間まで労働力として稼働せよという都合の良い条件であることから、当然ながら従業員への様々な「追加条件」が提示され、いわゆる労使交渉の中で妥協点を探りつつも期日までの業務が続けられた。
そして昨日、僕は無職となった。
転籍か転職か
僕が所属していたのは、グループ内で唯一の関東に位置する拠点かつ子会社だった。
昔ながらの古い体質をそのまま続けていたような、良くも悪くも日本の製造業で、例に漏れずIT方面がそれほど整っていなかった。
本社は関西にあったが、中央集権的な形のコーポレート機能のみが存在するオフィスで、グループ全社のインフラはそこで担っていた。
ITに関しても本社に情シスさんが(実質的に)ひとりだけ居たのだけども、人間的にもとても尊敬できる人であった。
業務の関係でこの情シスさんと連絡を取ることが多く、僕は結果としてその人から「本社に転籍をしないか」というお誘いを頂いたのである。
所属していた子会社では、僕はいつのまにか「パソコンの先生」的な立ち位置として頼られるようになっていた。
プリンタが壊れただの、ネットが繋がらないだの、パスワード忘れただの、何もしてないのにパソコンが壊れただの、つまりよくある話である。
バカにしているような書き方に見えるかもしれないが、僕にとっては(本業ではなかったが)毎日頼られる形だったので嬉しかった。元々は現場の作業員として働いていたので、現場の人たちが困ることや「事務側へ質問しづらい感覚」などが理解できたし、その部分の潤滑油になれるのではないか……といった価値も見いだせていた。
そのようにして唯一に近い形でITを活用できるような立場が少しずつ固まっていたことから、本来の部署の範囲を超えていたとはいえ、上司の理解もあり様々なデジタル化(あえてDXとまでは言わない)に挑むこともできた。
許される環境を用意できる権限はあくまでも本社(の情シス)が持っているので、そうした相談をすることが多かった……というのが先の話につながることとなる。
けれども僕は、その話を断ることにした。
悩まなかった訳ではないし、転籍に対する待遇も悪くなかった。破格だったようにも思う。
ただ、関西は遠いという理由が僕には大きかった。持っている身体の問題が最も現実的なものでもある。
そして何より……IT業界を、ITのエンジニアを目指してみたかった。もちろん、本社の情シスだってその範囲に含まれてはいる。
それでももっと、技術に寄ったことを試してみたいという思いが捨てきれなくなっていた。
こうして僕は、事業所の閉鎖まで業務を担うこととし、退職後に転職活動を開始するという選択をしたのだった。
諦めきれなかった道
学生時代は情報系の学部だった。
身体の問題で大きな手術を経て、金銭的に無理が出たことで中退を余儀なくされた。
原因不明のその病と対峙した時、自分にはITが無縁だったのかもしれない(ならばいっそ退院後は何だって挑める)と気持ちを切り替えたのを今でも良く覚えている。
シンプルなバイトでも週5日の8時間勤務を耐えられるようになるまでには少なくとも1年は要した。
はじめは週3日で1日5時間程度の通販事務のようなバイトからはじめた。同じ場所でフルタイムにしてもらうまで半年はかかった。その後は接客業のフルタイムバイトに挑んで、ようやく「身体を戻せた」感覚を得られた。
そのバイトで一人暮らしができることを目標とし、4年が経った頃には実家から都内にある安いボロアパートへ引っ越した。そこで最初に挑んだ正社員面接が、一昨日まで勤めていた会社となる。実に11年の勤務となった。
難病を告げられた時には、製造現場だとか、色んな人に頼られるような仕事ができるとは想像ができなかった。
せめて自信を持って生きていけるようにと必死にやってきただけではある。
ゲームが好きだったからという理由だけで情報系の学部に進み、その道が絶たれたと思いこんでいた僕にとっては、これまでの仕事が特に興味を示すものではなかったけれども、善き人に囲まれて運良く「社会人」になれたのだろうと思う。
11年勤めた会社で、ITの力を使い人の役に立てるという感覚を少しずつ具体的に得られるようになってきたことで、自分の中にはいつのまにか「もう一度目指せるのではないか」という思いが生まれ始めた。
ただし、自分のような専門性の無い人間が、ただでさえハンデのある身体で、転職を伴って飛び込むのは苦しいだろうと考えていた。そこに、事業所閉鎖というきっかけが突然立ち上がったのだった。
応用情報をひとまず目指す
今年に入って1月から3月の期間は、さすがに製造作業がすべて残されているものでもないので、手の空いた人から転職活動に時間を割いて良いといった話になっていた。
総務や経理といった事務方を一通り担うようになっていた僕は、最後までみんなを送り出すような立場だったために、むしろこの時期の方が忙しくなっていった。
本社への転籍は断っていたので、それ以上の「補償」が受けられるわけでもなく、僕は社内でも数少ない「次が決まらないまま退職する人」となった。
IT業界の「何らかのエンジニア」になりたいとは思うものの、何を目指すべきかを決められずに1年間の閉鎖業務が過ぎていってしまった。そんな中で、今はネットワークエンジニアをやってみようという気持ちになっている。
基本情報技術者試験が4月からCBTによる通年受験を可能とした。はじめはこの春の受験を基本情報技術者試験にしようと考えていたが、いつでも受けられるのなら春にこだわる必要はなかった。
ならば(これは本当に欲張りで浅はかな考えだったと今は反省しているけども)応用情報技術者試験を先に受けてしまい、基本情報技術者試験はやれるときにやればいいではないかと考えるに至った。そうすれば、秋には更に次の資格も狙えるし、きっと就活のアピールに使えることだろうと絵空事を描いたのである。
だから、今はけっこうまずい。
ネットワークエンジニアを目指そうと考えた時にまず狙ったのがCCNAという資格であった。Ciscoのベンダー試験として登竜門のような位置づけのこの資格は、勉強する上では良い手応えの内容だった。いままでどれだけ雰囲気でインターネットを使っていたのかということが日を追うごとに感じられ、全般的に古く安定した技術ではあるものの、自分にとっては新しい分野のような楽しさがあった。
ただ誤算は想像以上に難しかったことである。こちらもいつでも受けられるので、3月までには合格しようという目標で突き進んでいた。結局退職日を迎えても、まだ合格圏内に入る自信がつかなかったので、タイムリミットの定められている応用情報技術者試験に勉強を切り替えるという、とても不器用すぎる動きをしているところである。
勉強の効率も上げたいので、その日の学習記録をつけていきたい。
せっかくエンジニアを目指すのだから、せっかく設置している静的サイトジェネレータのブログをまた管理しはじめて、せっかく覚えた基礎的なGitの使い方などを思い出しながら、せっかくの時間を有意義につかっていこう。
転職までに無職でいて良い期間を半年と定めた。
会社都合退職なので失業給付的なのは長く貰えるし、退職金もそれなりに頂いたから、やろうと思えばもっとゆったりしていられるのかもしれない。でも、おそらく「無職期間を許容した」時点で厳しい道のりに入ったことは間違いないとも考えている。
ならば、徹底的に使える時間は自己投資と自己強化に努める以外にないのだろう。
またひとつ、普通ではできない体験を走れるのかもしれないという楽しさを忘れないように、甘さを捨てて毎日を進んでいこうと思う。